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- May 27, 2019
アドレスとラベル
ちょっと英語の勉強ちっくに。 5リズムの海外ワークショップへ行くととてもよく聞く言葉のひとつに 「アドレスする addressing、 address yourself など」 が、あります。 今、自分が(または相手が)どんな状態か感じ、その状態を記述することを 「アドレスする」と言います。 いわゆる、今の自分が「心象風景の中のどこにいるのか住所を述べる」 そんな感覚。 そこにはなんの批判もありません。 たとえば 「左足の神経が少し右よりにぶい感じがします」 「ハートがきゅんとします」 「涙が出て背中が丸まって、取り残された気分です」 しっかり自分を見つめ、 自分の状況に気づき、 それをただ、述べる。 それが 「アドレスする」ということ。 また、その状況に対してセラピストやティーチャーが 「それは今、あなたの中でこういうことが起こっているからよ」 という事象、現象の説明も、「アドレスする」と言います。 「私は過去を振り返らない!」 「愛と光で生きていきます!」 アドレスは、単に、その状況を拾うことなので、 このアファメーション(宣言)は、アドレス


- May 24, 2019
グラウンディング
東京のワークショップ、本当に申し訳なかったです。 また、お話できる時があれば、その時に。 とにかく、今回のことからさらなる確信に変わったことは 事実は小説よりも奇なり そして、 徹底的なカオスは、 徹底的にグラウンディングさせる ということです。 私は今回の超絶カオスの中で 実質距離も移動し、 人を巻き込み、 ジェットコースター的な中で 自分のベストを尽くし 結局のところ、何をしても、 委ねるしかない状態を体験し、 委ねた結果、 全てがポンと 神様だか宇宙だかわかんねえけど、 そのセットアップによって パラパラパラと落ち着いて行く状態を見ました。 カオスの最中も丹田にだけ異様に力が入り カオスの中にこそ静寂のポイントがある、 という ガブリエルが言っていたことを 実体験しました。 そうです。 カオスの中にこそ、スティル・ポイントがある。 私は台風の目の中で 静かに、やるべきことだけをした。 東京ワークショップは、初めての自己プロデュースだったのにもかかわらず たくさんの方が集まってくださったのにキャンセルをせざるをえなかったのは すごく残念で仕方


- May 19, 2019
リニア、ノンリニア
私は過去の職業が, CGや画像編集だったので、リニア、ノンリニアという言葉と概念には馴染みがあるが、一般的にはワケわかんないかもしれないので説明させてもらう。 実はガブリエルの本の中でもこのことが「感情の章」で書かれているし、バシャールもこのことをよく言う。(バシャールの媒体であるダリルアンカさんも映像編集系の人) リニアとは、直線、みたいな意味合いだ。 たとえば編集で言えば、「リニア編集」とは、昔の方式。フィルムで撮った映画を過去から未来へ向かって繋げて行く仕組み。一本のフィルムを、過去から、今、未来、と時間軸に従って切理、テープでつなげていく。あくまで、一本。(概念として、基本的には、の意味) それに対して、ノンリニアは、コンピュータに取り込んだ様々なデジタル画像を、いろんなところから「いま」に拾ってくること。 全てはもうそこに同時にあり、どれを選んでいくか、という概念。 これ、何かに似てるでしょ? よく言われる「いまここ」の概念。過去も未来も全部いま。 そこから選ぶのは自分。 そう、これはノンリニアな考え方。 まさにパラレルワールドのことを


- May 16, 2019
「できる」より大事なこと
毎年、夏はケイトのクラスを代講しているが、その時に若いヨガピープルやエクスタティックダンスの人たちが5リズムにもたくさん来る。 彼らは身体的能力も優れているし、 言えばいろんなことは「できる」 だけど、5リズムは「できる」ことになんの意味もない。 では、なぜ5リズムを踊るのか? それは 本当の自分の体に気づくため。 社会的なレイヤーをはいで「人間という動物」に戻るため。 本能のままの、直感的な「自分という人間」に。 そして本当の自分を自由にしてあげるため。 自分という生き物に深く、ダイブしていくためのきっかけ。 だから、上手に踊れる必要など1ミリもない。 体を持っているもの、皆、 誰もがダンサーなのだ。 if you have body, you are a dancer! -Gabrielle Roth ========== 私にとっても5リズムは、 踊る瞑想 踊る自己解放 踊る自己探求 いわば、踊りを使って自分を超える、 そんなプラクティスです。 だから、真剣。 ギリギリのエッジを探る作業なのです。 www.masayodance.com


- May 13, 2019
ドグマと真理
真理はあると思う。 生きるものはすべて死ぬ、とか 物事は絶えず変わる、とか 私もこう見えて真理の探求系はキライではない。 むしろ好き。 だけど、ドグマ(教え、教義、教理)と真理は違う。 ドグマは 宗教的、政治的などと背景とした 狭義的なルールであり、 これをやっちゃいけない、とか 常識として、とか 女として妻として、とか ま、いわゆる真理とは違うけど、 その国にとっては当然、大切にされ、真理とすり替えられることもある。 アメリカに住んだ私の一番の宝は 自分が信じて来たドグマは 国や環境が違えば変わることを体感したこと。 ここに振り回されていたらダメだ。 まあ、乱暴なほど大雑把に言ってしまえば、 「お蕎麦は音をたてて食べるべき」を善だとし、 それを真剣に美徳として守ることに必死な人もいるわけじゃん? で、実際アメリカに美味しい蕎麦屋がないと、 その「べき」を使う場所がなく悩むかも。くらいのモン。 いずれにせよアメリカでは音をたてて食べると大概嫌な顔をされる。 それもアメリカ側の理由(ドグマ的な)。 ドグマの確かさなんて、それくらいのモンである。 な


- May 9, 2019
誰のために踊る?
マドンナのツアーダンサー、ニレアちゃん(写真左 2018年8月、エサレンにて。ルシアとアシスタントチーム)は、5リズムのティーチャーでもあり、時々一緒にアシスタントに入る友達。 ちなみにカッコイイ彼女はこっちで見られます。http://www.nilayasabnis.com/ ビデオの所は要チェック。 彼女の踊りは素晴らしく、恐るべき身体能力を持っている。 彼女は生前のガブリエルロスの最後のアシスタントだった。 彼女の舞台やテレビでのパフォーマンスはダイナミックだが、彼女の5リズムは、すごーくジューシーで、すごーくセトル(微細)。別に大きくかっこよく意識をして踊らない。だから、一見ではこの人がプロの商業ダンサーとは、なかなか分からない。カオスで弾けたときは、おおお!!ですが・・・ 彼女曰く 「仕事の踊りは人に見せるために踊る。 5リズムは自分のために踊る」 そう、自分のために踊る。 ====== お知らせ ======== 私にとっても5リズムは、 踊る瞑想 踊る自己解放 踊る自己探求 いわば、踊りを使って自分を超える、 そんなプラクティスです


- May 7, 2019
悩みはなくなりますか?
5リズム、効かないんだよね、 と言った方がいた。 だって、やっても元に戻るんだもん。と。 もう超えたと思ってはまた悲しみ、 もうその感情がなくなったと思ってはまた怒り。 なくなるとかなくならないとかの問題じゃなく!!! 随時、自分で選ぶだけ。 だいたい、悩みというものは 自分が悩むから悩みで、 それ自体が存在したり消えたりするものではない。 自分がソレにどう対処するか、なだけだ。 しかも、外の要因に原因を探し、 外の人に何かをしてもらおうと思っている。 基本、そういう人、心理学的に言っても治るわけないと思う。 すぐに悟れると思ってる。 しかも直線上で悟れると思ってる。 そもそも、悟るという事は 「全ては絶えず変化する」ということを知るということで 「自分が何も知らない」ことを知るということで 「悟ることなんてどうでもいい」状態になることで 憧れているうちはそんなもんアンタ、超模倣状態のサルだす。 インスタントに、この薬飲めば体柔らかくなるよー ならヨガはいらないし もう言葉に出して言ったからネガティブな気持ち消えたー なら心屋仁之助サンもいらない


- May 3, 2019
大阪、小浜、終了!
5リズム、大阪2クラスと、 地元、若狭小浜でのワークショップが終了した。 超委ねる、超みんなをみる。超その場で一番必要なエネルギーを感じて回す、 超、その人に必要なことはその人に起こることに対する信頼をしての クラス&ワークショップ。 大阪のキッズクラスも、大人クラスも楽しかった。 子供が入るエネルギー。子供に振り回される自分の投影。 全てが完璧な学び。 カチンとくる一瞬からの自分のパターン。 ただ委ねれば、 小浜のリトリートはものすごく素敵だった。 緑鮮やかなお寺やパワースポット神社でのトライブ。 それは美しかった。 また、自分に向かい合う、それぞれの魂が、 本当に美しかった。 仮面じゃない、本心。 魂からの言葉。 一つ、一つが、魂から出てくる言葉。 それを体言化したダンス。 2時間クラスの、ゴーゴーゴー!的なはいバイブレーションや盛り上がりではなく、 ハートの中をキチンと見て、 そんな自分を踊った。 自分が自分でいるべき場所にしっかりと自分としている、 「そのままの自分でいい」を、 くそスピリチャルの言い訳では「ない」部分でとらえることができ


- May 1, 2019
痺れという感覚
感じるということ、にも書いたが、関連するので痺れについてもう少し。 ガブリエルの本 Maps To Ecstasyより 私たちの感情が不適切な反応を受けた結果、歪められたパターンの中に感情を隠され鍵をかけ、過度に押さえつけて(ミュートして)しまった結果として、ただ普通の感情表現では足りなくなり、過度に爆発してしまう。 ま、いわゆる逆ギレの事ですね。 日本でもよくあると思う。 「うん、大丈夫。だいじょうぶ。ぜんぜん平気」 と言いながら、ブったおれる。 ぶっ倒れない限り、休むことを許されなかったり、 断ることを許されなかったりする。 痺れは完全な自己逃避だ。 本当は出せばいいのに、出してはいけない、と体に貯める。 貯めちゃうことがデフォルトになると、そこで痺れさせる。 痺れさせてでもおかないと痛くてしょうがない故の自己防衛本能。 実際にあった話だけども、クラスにきて 「わたし、”怒り”がないんですよね〜」 確かに笑顔だったが、口は固く結ばれ、拳はグーをしていた。 体はウソつかない。 私も親指にずっと力が入っているらしく、それが痺れになっていることを発