Masayoのブログ: アメブロ と NOTE で更新して行きます。 

被害者意識

被害者意識は便利だ。 だって、自分を責めなくてすむから。 何もかも、相手が悪い。 私は何もしてないのに、相手が私を傷つけた。 私は傷つけられた。 私は裏切られた。 私を悲しませたあの人が悪い。 親が悪い。 相手を悪者にする。 相手を加害者にし、自己を正当化することを無意識でやっている。 では、質問です。 悲しむのは誰? 痛むのは誰? 裏切られたと感じるのは誰? 自分が痛まなければ、相手は加害者になれない。 すなわち、相手を悪者にする必要もなくなる。 自分がなぜ痛むのか、 自分の痛みにフォーカスをすると辛いから、 周りの人を責めて自分を正当化する。 被害者を踊ろう。 そして 加害者を踊ろう。 何もかも踊りにしてしまおう。 楽しく、ユーモアを交えて 自分を客観的にみながら 主観的に踊る。 そもそも、アートとは、そういうためにあるのだと思う。 「悲しみをアートに、アートを気づきに、気づきを行動に」 ガブリエル・ロス ======= Masayo Benoist 5リズムティーチャー 7/7 名古屋スカイプクラス 12時〜2時 湘南シャイズ名駅校 お問い合わせは梅田まで また、スカイプ、ズームによる個人レッスン(個人セッション)もしています。 (日本時間、火曜〜金曜の朝8時〜午後3時まで、土日の午後2時半〜5時の1時間) 呼吸から動き、全部をみていきます。 お気軽にお問い合わせください。

両親は完璧じゃない

子供の頃、両親はルールだった。 子供の頃、両親は全てだった。 子供の頃、両親は神だった。 子供の頃、両親は完璧だった。 子供の頃、両親は全宇宙だった。 だから、 両親が傷ついているなどとも思わず ダメな人間だとも思わず 両親のキモチによって自分が左右され 勝手に大人になっても持ち続けるようなトラウマを作る。 子供の頃って3色くらいしか絵の具がない。 たとえば「いい。悪い。別に」「好き。嫌い。普通」とか。 それで全てを処理しちゃうのだ。 数年前、山形で5リズムのキッズクラスをしたとき、 「お母さんが褒めてくれない時、お母さんをひどいと思う人?」 と聞いたら、ほとんどの子供が手をあげた。 その時、キッズを連れてきたお母さんたちは 私よりうんと年下。 私がこの子たちくらいの年齢の時、 私の母は30歳そこそこ。 完璧なワケがない。 「あのね、お母さんって完璧じゃないんだよ。 お母さんも悩んでるんだよ。 先生も完璧じゃない。 先生よりうんと年下のお母さんたちも、 いろいろ大変なんだと思うよ。 だから、お母さんが褒めてくれなくても 許してあげてくれないかな? そして、お母さんが褒めてくれないかわりに 自分で自分を褒めてあげてくれないかな」 というと、 山形のキッズたちは、とっても真剣に聞いてくれて 「うん、うん」 とうなづいた。 クラスのあと、 「お母さん〜〜!大好きだからね〜〜〜!」 と親の元へ走って行った。 お母さんたちは 「なにがあったんですか?」と目を白黒。 そう、両親は完璧じゃない。 両親の傷を背負ったまま、 それを3色の絵の具で判断し、 私たちは一生勝手に傷ついているのだ。 「

体はストーリー・テラー

体は自分の歴史をホールドしている。 それを表現する。ゆるめる。語らせる。 体に喋らせる。 体に怒鳴らせる。 体に泣かせる。 体に悲しみを踊らせる。 体に狂った自分を踊らせる。 ひとつづつ、すみずみから、 体に語らせる。 どんな動き方があって、 どんな「動かなさ」があるのか。 その、どんな動かなさを知ることは強みだ。 動かないそのパートは 何を言いたいのか? 何を語っているのか? 動かない、といっても 体が硬いわけでもない。 ただ、そこで表現をしようとすると いわゆる過去のトラウマだとか、 積み込んできた歴史が そこを動かすことをヨシとしない。 たとえばヨガで体が柔らかい人も 動こうとすると、踊ろうとすると動かないことがある。 それは思考の硬さ、マインドの硬さ、フィーリングや心の硬さを反映しているのかもしれない。 その動かなさはどこから来ているのか? 体で探求する。 そして 体に語らせる。 体は、私と言う歴史を背負った ストーリーテラーである。 ======= Masayo Benoist 5リズムティーチャー スカイプ、ズームによる個人レッスン(個人セッション)もしています。 (日本時間、火曜〜金曜の朝8時〜午後3時まで、土日の午後2時半〜5時の1時間) 呼吸から動き、全部をみていきます。 お気軽にお問い合わせください。

一万通りの動き方

5リズムを作ったガブリエルはいつも 「自分の体を探索して」 と言った。 そして 「手を(足を、頭を、肩を)一万通りの動かし方で動かしてみて」とガイドした。 どんな風に動くのか、まだ動いたところのない場所、いったところのない場所へ自分の体のパーツ(手や足、肩やひじ)を連れていき、こんな動き方があるんだ、と、体の持つクリエイティブさに自分自身で驚いてごらんなさい、と。 いわゆるクラブ踊りをしていると、そりゃ1時間踊ったらけっこうつまんないばかりで疲れる。 だけど、体を毎回違うふうに1万通り動かせば、そりゃ忙しい。 それは頭の忙しさではなく、「今ここ」の忙しさ。 先日、スペースホルダーさんの一人を個人レッスンした。 彼女の動きは大きく変わり、自宅で少し動いただけで、汗をかき、 「ここまで動くんですね」と。 そう、ここまで動いた1時間半は全く違う。 一生懸命踊るだけでなく、意識的に動くこと。 ここまで動いて初めてガブリエルの言うエクスタシー(恍惚状態)私の思うブッ飛びへ行くチケットが手に入る気がする。思いだけで一生懸命動くのと違う効果があるのだ。 なぜか? 「体が動けばハートが動く。体がひらけばハートが開く」 Photo by Masayo Benoist ======= Masayo Benoist 5リズムティーチャー 22日は大阪スカイプクラスです。 カムロダンススタジオ:10時〜12時 お申し込みは前日までに前田まで スカイプ、ズームによる個人レッスン(個人セッション)もしています。 (日本時間、火曜〜金曜の朝8時〜午後3時まで、土日の午後2時半〜5時の1時間) 呼吸から動き、

足が止まると思考が動き出す

思いが強くて、動きが止まる人がいる。 思いを感じることに夢中になる。 5リズムは「思いに来てる」のではなく「動きの練習に来ている」のだ。 また、感情が出て来て、声を出してもいいよ、というと 声を出すことに夢中になりすぎて動きが止まる人がいる。 5リズムは「声を出して発散しにに来てる」のではなく、あくまで「動きの練習に来ている」のだ。 ともに、足が止まる。 足が止まると思考が動き出す。 思考とはトリッキーで、時に「思い」や「感情」のフリをするが 実は思考が途中から主導権を握り始めることが多い。 感情、キモチ、フィーリングは、 多少動いたくらいではなくならない。 泣いてもいい、叫んでもいい、 だけど、そんな時こそ 泣きながら、叫びながら、笑いながら、ふてくされながら 5リズムでは「それをダンスにする」 すなわち 体に表現をさせる。 ======= Masayo Benoist 5リズムティーチャー 22日は大阪スカイプクラスです。 カムロダンススタジオ:10時〜12時 お申し込みは前日までに前田まで スカイプ、ズームによる個人レッスン(個人セッション)もしています。 (日本時間、火曜〜金曜の朝8時〜午後3時まで、土日の午後2時半〜5時の1時間) 呼吸から動き、全部をみていきます。 お気軽にお問い合わせください。

観客?それとも演者?

きゃあ〜〜、あの人素敵! このスターが、 このYoutubeが、 私を幸せにしてくれる〜〜〜 なぜ? なぜ 演者にならないのだろう? なぜステージに立つ側にならないのだろう? 私なら、 観客ではなく、 演者でありたい。 ステージの大きさは関係ない。 自分がいる、その場所が、ステージだ。 皆がステージの上の人であるべきだ、 少なくとも自分の人生の主役は自分なのだから、 「あの人がこう言ったから」 と、自分の幸不幸、自分のなりふりを 人に預けてはいけないのだ。 私は観客ではなく、 演者でありたい。

依存

「誰々がなになにしてくれる」という図式は 全くもって依存だ。 と、批判的な口調である私だって、 夫が稼いでくれる、と思ってる。 夫に依存しているからこそ、5リズムみたいな、金にもなりにくいことを好きすぎて好きが高じてやってられるのだ。 「誰々のために何かをする」という図式も 究極の論理で言えば依存だ。 夫のためにご飯を作る。 世の中のために働く。 子供のために時間を使う 彼氏のためにケーキを作る。 「え?ダメなんですか?夫のために働くのが妻として素晴らしいことじゃないんですか?子供のために何かをして、何が悪いんですか?」 んーーー。まずは自分を満たしてからなんだと思う。 結局、夫のために、子供のために、彼氏のために、世の中のためにすることで、自分を埋めているんだよね。 本来は、自分が自分のためにすれば それほど健康的なことはない。 まず基本は、自分から。 飛行機の中の酸素マスクと同じ。 互いにちょっとの思いやりを持って、 ほのかな依存のゲームをしつつ、 自分のために、 自分という、割り当てられた人生を しっかり他者とともに生きる。 これが一番ヘルシーな恋愛関係であり、家族関係であり、社会関係なんじゃないかと思う。 5リズム。 これだけは、 たとえ夫の金を当てにしようが、 たとえ自分でお小遣いを稼ごうが、 私のタメにやってることだ。 教えることも、私のタメ。 誰のためでもない、私のために 私がやってることだ。 もちろん、生徒さんのため、という名目もあるが 5リズムは、生徒さんはお客さんとは扱わない。 皆で魂の学びをするための、 共存者。 5リズムは、依存しない。依存させない。 先

進む道

道って、勝手に開く。 それが素晴らしくキラキラに開く時もあれば、 すごく苦しい時もある。 なるほど、これ、道が開く時だな、ってわかるヘビーさがある。 私個人のことで言えば、 私は今、すごくいいティーチャーになる道を歩んでいる。 なぜなら、人の苦しみがわかるからだ。 人の悲しみや痛みがわかるからだ。 自分の想像を超える事をホールドしているからだ。 (こういう時に興味というエッセンスを使うと悲観的にならずに済む) そういうことを体験してるからだ。 勝手に道がそういうふうに開いたからだ。 なるほどね。 私が何かしなくても その方向性に勝手に開く。 私は、ますます私のままでいい。 成功の法則とか、 引き寄せとか、 そんなことしなくても、 しっかりと自分につながっていれば それでいい。

誰のせい?

「アイツがこう言うから今日はイヤな日だ」 すごくわかる。やっぱり痛いもん。 でも、そいつに自分の一日を決められるのは、 嫌なそいつに負けてると言えるかもしれないし、 少なくとも嫌なそいつのためにエネルギー使ってて もったいないよね。 一旦ちくしょーー!!!って怒ったら、 その後は、塩まいてポイ。 アイツのせいじゃなくて、 そこに反応する私のせいです。 たとえば、アイツに何を言われようと、 もしくは平手で殴られようと、 もし、殴られるたびに100万円入って来る、としたら、 アイツに平手打ちくらっても 「はっはっは、毎度どうも〜〜」 と思うだろうし、 大好きな人から告白された直後なら、 満員電車で押されて転びそうになってすら気ににしないだろう。 ということは? 怒る、怒らないは、 「主観」だ。 とても曖昧なもの。 極論を言えば、 たとえアイツが叩いて 嫌な1日になったたとしても アイツのせいじゃないよね? 自分が反応するからだ。 相手は単なる鏡。 Mirrors! 自分が何に、どんな風に反応するか、 えてして「弱い」ところに反応するのだが、 それを知ることは「強み」になる。 Mirrors: 5リズム、エゴのレベル ミラーズは、 ウエイブ、ハートビート、サイクルズ を受けた人が受けられるワークショップです。 現在はMirrorsをできる講師は、ガブリエルの息子、ジョナサン・ホランのみ。

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