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- Mar 31, 2019
なぜ目をあけるのか?
5リズムでは目をあける。 キャシーアルトマンという重鎮がいた。今はオープンフロアという新しい派を作り、5リズムから独立されたが、私は随分とキャシーのワークショップに出た。 キャシーが5リズムの説明をするとき、彼女はこう言った。 「他のメソッドでは目をつむるものもあるし、目隠しをするものもある。それはそれで、深いところへいけるし自分にいっぱい浸れるからすごく素晴らしい。だけど、5リズムでは、目をあける。なぜだかわかる?」 皆、固唾をのんだ。 「私たちは3次元に生きてるからよ。3次元で行動するからよ。その時、目をつぶってたら事故起こしちゃうでしょう?5リズムは日常を生き抜くためのメタファ(比喩)よ」 って、コレ、書いたっけ? ======================== 4月、5月、日本の予定はこちらから。 そろそろ、早割が終わります。いまのうちのほうがオトクですよ〜。 一緒に踊りましょう! https://creativerain.wixsite.com/masayodance/2019sp


- Mar 29, 2019
音楽はメディスン。だけど、、、
いいか?音楽はメディスンだ。 だけど、音楽に踊らされるな。 どんな音楽よりも、自分の体の声を聞け。 「な〜んだ、こんなシケた音楽じゃ踊れないや」 それは、そいつのせいだ。 そいつの反応、投影だ。 「この先生、DJヘッタくそだなー。音がちゃんと繋がってないし」 じゃあ、クラブへいけ。 もちろん、いい音楽は自然と体を動かす。 だが、音楽に、外的要素に、文字通り「踊らされるな」 それが5リズムと、クラブの違いだ。 ジョナサン・ホラン (ガブリエルロスの息子) ========== いよいよ明後日の日曜日!! ロサンゼルス、タカビューティーサロンさんの主催でのイベントの一環として 5リズム&ともこの浄化瞑想をやることになりました。(一応、英語でやります) 3/31、日曜日、午後2時45分から、サンタモニカ(on Pico / Bundy)のマルカイの2F右端、Dance Studio No.1のスタジオBにて。$35 チケットはこちらから。 マサヨと1時間半の5リズムのあと、浄化瞑想をトモコのガイドで。 体をゆるめて、ココロを裸にして、それから瞑想。 い


- Mar 28, 2019
誰の学び?
2015年の夏、ティーチャーになってまだ浅いころ。 「ねえケイト。やっぱりケイトじゃないと生徒が来ない」 そう言ったことがあった。 ケイトのクラスを2ヶ月サブしていたとき、人が減っていった。 20年以上も教えているケイトの場のホールドと音楽はそれは素晴らしく、 皆、ケイトのエネルギーに触れたくてくるのであって、 5リズムだからといって、どの先生でもいいわけじゃないんだ・・・ 私のせいだ、、、 胃がキリキリ痛い上に、心も傷んだ。 ガッツリ痛みを抱えた私は、 ケイトに上のように言った。 「なんてだらしない生徒たちなんでしょう!! 恥を知りなさいと皆に言いたい。 どんな先生であろうが、先生が何かをしてくれるのではない 自分たちが、いろんな局面に出会って、そこからどう学ぶか。 それが一番の勉強なのに! それが鍛錬というものでしょう? 悪いのはあなたじゃない。彼らの学ぶ姿勢が悪い」 その時は、ケイトが私をかばってくれたんだと思って嬉しかった。 だが、かばったのではなく、事実を言ったのだ。 今ならわかる。 今なら、この言葉の重みがわかる。 そう言えるケイトの


- Mar 24, 2019
カタチにする、呼吸を入れる
2013年、私のティーチャーズトレイニングの時に、顧問の先生タミーに相談にのってもらったことがあった。 私はこれで悩んでる、的な事を言ったら 「それはどんなカタチ?」 ん? あ、っそーだーーー!!忘れてたーーー!!! ガブリエルの本の中にも書いてあったのにねえ? それは耳に痛みのあるネイティブアメリカンの女の子の話しだった。 ガブリエルは耳の痛い女の子に 「その痛さは、どんな形?その痛さの色は?硬さは?質感は?重さは?」と聞いて、それを大きな動きと共に、呼吸と一緒にフーーっと吐かせて、ドアから出したあと、ドアをパタンとしめた。 その女の子は、そのあと何もなかったかのようにケラケラと笑い、それを見ていたネイティブアメリカンの長老が「私の祖母はシャーマンだったよ。彼女が今生きていたら、あんたがしたのと同じことをしただろうね」と言った。 というようなクダリがあった。 踊りの中ではやるけど、日常でソレをやるって考え、思いつかなかったよ、とタミーにいうと 「踊りを日常に、日常を踊りに、ね?」 とウインクされた。 病気じゃなくても、キモチも同じように、カタチ


- Mar 21, 2019
メアリーオリバー ワイルド・ギース(野雁)
(2020 8月。 訳を少し変えました。 野鴨、としていましたが、 野雁らしいです。なので変更しました) 先日のブログ(よくなろう)での 返信ソングみたいなものなんだけど、 最近(1/17/2019)亡くなったアメリカの偉大なる詩人、メアリーオリバー。 本当はよくなろうとしなくてもいいし、 なおさなくてもいい。 私たちは頑張りすぎるし 私たちはよくなろうとしすぎる。 5リズムをはじめて3年経った頃だった。 私はその頃、ただひたすら頑張っていた。 彼女の詩を、最後のスティルネスの時にティーチャーが読んだ。 それを聞いた時 私は号泣した。 ========== Wild Geese by Mary Oliver You do not have to be good.
You do not have to walk on your knees
For a hundred miles through the desert, repenting.
You only have to let the soft animal of your body
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- Mar 19, 2019
「良くなろう」2
1の追記の意味も込めて、 良くなろうと、治そう、正そう、ということは 対比としてその反対を「イケナイこと」だとしている。 そのまんまの、イケナイ自分を受け入れられない。楽しめない。 良くなること至上主義であるがゆえに、 良くならないと、 「なんで良くならないの?なんで治らないの?」 と自分を(人を)ジャッジしたり、罰を与えたり、もうダメだと思ったりする。 誰がどう言ったって、 怖い(腹がたつ)ときは怖い(腹がたつ)。 一番危険なのは 「怖い(腹がたつ)と思っちゃいけない」と押し殺して それを感じないように蓋をするコトだ。 そのうちに「痺れる」 そうするとホントの気持ちがわからなくなる。 岩が落ちてきて「怖い!」と思うのは反応的、本能的感情。 だが不安とは「こわがっちゃいけない」と、恐れに蓋をした時の二次的感情だ。 良くなることを目指せば目指すほど、 良くならないのはイケナイこと。 その良い、悪いの間の距離に、不安が存在し、自己否定が存在する。 あがけばあがくほど、蓋をすればするほど、 蒸気みたいにモヤモヤは上がってくるのだ。 「はっ、いやな感じが


- Mar 16, 2019
「良くなろう」
よくなろう、よくなろう、とする。 そして、治そう、とする。 ガブリエルロスの Maps To Ecstasyの中にも書かれているが 人間とは「治したがる生き物」だ。 少しでも不具合があると、治そうとする。 一番いい時を基準に考える。理想を基準に考え、 そこをキープしたいと考える。 一番いい時間が少しでも過ぎていくと 落ちて行く時にビビる。 老いも同じだけども。 「ずっとベストの時のままでいたい!」 だから、飛鳥涼が中毒になる。 だから、ピエール瀧がやめられない。 なんてね、時事ネタを入れつつ。。。 どんな人も、 みんな、よくありたい、ベストでありたいと願うのだ。 だけど、しがみつくと、 あのベストの自分のままでずっといたい、と。 そして、その「良い時」ベストの時の快感を知っているから 「よくない時」が、やるせなくなるのだ。辛くなるのだ。 この仕組みを知っておくといいよね。 そしたら手放せる。 だから踊る。 そう言う時には特に踊る。 一緒に踊りませんか? 4月末から日本。ワークショップとクラスします。 https://creativerain.wi


- Mar 13, 2019
気持ちは体に溜まる
本当は「感情は身体に溜まる」と書きたいところだが、 私はまだウエイブ(体を扱う)クラスのティーチャーで 感情を扱うレベルは教えられないので、あえて「気持ちは」と書く。 大きなことから、え?っていう小さなことまで 感情が身体に溜まっている。 それは形を変え、状況を変え、やってくる。 そして、どんなときも、ほとんど同じパターンの反応をする。 出来事はいくつも違う顔を見せる。 大事故だったり、 病気だったり、 別れだったり、 駐車場でのラッキーな空きだったり、 スーパーでのシンクロだったり かっこいい人が目の前に現れたり、 不意の追い抜きだったり、 それが「悟り」ほど大きなものから、「目の前の小さなこと」まで 大きさに関わらず、 そんな時の反応には、私たちのキモチのパターンが出る。 それは頭で考える間も無く 「身体」に染み付いている。 だから、 誰のせいでもない。 自分のパターンなのだ。 そのパターンを変えられるのは 自分しかいない。 あ、変えなくてもいいんだけどね。 体感しとくといいと思う。 だって、「自分の最小分子レベルのパターン」だから。 それを


- Mar 5, 2019
ラベルづけをはずす
人は 「私はこうである」と決めちゃうと 少し安心するようだ。 「私は赤が似合う人間だ」 「私は頑固だ」 「僕って変な人間だから〜」(夫がよく言う) これを、ラベリング(ラベルづけをする)と呼ぶ。 人は、よくも悪くもラベルづけをする。 どうやら人は、 「えもしれないもの」「ワカラナイもの」を嫌う傾向にあるようだ。 「前例がない」とはよく聞く断り文句。わからないからだね。 自分はこうだと判定し、自分をその中に入れて決めてしまうことを 英語では「in the box」と言うことがある。 そう、箱の中。 その反対は「Out of the box」 箱から出る。行動を起こす。 なぜ、箱にいると安心するか? だって、窮屈に見える箱や枠は、 寄りかかれるから。 「だって私、XXXなんだもん〜〜」 という理由ができる。 そして どうやら同意が欲しいらしい。 「ね?ね?私ってこういう人間でしょ?」 と。 よくも悪くも 「だね」 など言われたら、一応、安心する。 だけど、自分をこうだと決めつけちゃった副作用としては、 「XXXなアタシ」をずっと続けなくちゃいけなくな