Masayoのブログ: アメブロ と NOTE で更新して行きます。 

繋がること、について。

正味の話、 誰だって宇宙のソースくらい繋がれるようになる。 その人一人だけの特別才能じゃないんだ。 それぞれに違う分野で繋がっているだけで とある人はお料理であり、 とある人は音であり、 とある人は言葉であり、 とある人は色であり。。。 私は全然見えないし 全然聞こえないけど 違う、とか、コレだ!という体感の直感は 誰よりも強い。 だから皆に平等な才能なんだ。 繋がれるから、ということだけで ニューウエイブ・イタコさんたちが 崇拝される時代は終わる。 ほとんどのホームレスはソコ、行ってるからね。 かつてのエクハルト・トールがホームレスであったように。。。 かつてのバイロンケイティのように 極度のウツにもなったりする。 いわゆるマリファナでぶっ飛んだヤツも、 ブッダの悟りも、 基本的には似たところへ行く。 彼らはホームレスを経験したり、 ものすごい鬱で死にそうになったり、 それなりのリスクの後、覚醒している。 振り幅がすごく大きかったし、 どこまで振られようと大丈夫な器ができちゃってるだけ。 どう言う人であろうと、 それらチャネれる人を崇拝する、という事に対して そこに自分の「依存」という危険を感じた方が健全だ。 本来は皆、自分でいける場所だ。 ちょっと必死コイて踊れば覗くことはできる場所だ。 えらいマスターの名前やエネルギーの色は、 人によって通訳も変わる、程度の違いだし、 自分とその人が違って当たり前だし、 サンスクリット、横文字、宇宙文字、宇宙語などは、 ヒップに変えただけの念仏と変わらない。 なぜ、外を追いかけるのか? 全ては自分の中にあるというのに? 彼らは、自分の中に

全てはベストな結果へと繋がる

どーんなに大変なことがあったって どーんなに辛いことがあったって 全てはベストな結果へと繋がる。 それは人を見ていて本当にそう思う。 それしかないから。 しんどそうなのは、 全てがベストだと私から見てたら思えるのに 今すぐここに、この手の中に まったく思った通りの結果を 一ミリ違わず求めている場合だ。 結果想定のストライクゾーンが異様に狭い人。 ほんでもって早く結果が欲しい人。 いわゆる精巧に「結果を急ぐ人」は 悩むよね。 それ、 無理。 それはあなたの心模様。 天の心模様ではない。 天をリスペクトするなら 天の視点になれ。 すなわち、 強く願ったら、 そのあとはすべてを委ねて 手放す。 バラの花を願って イモが一生分送られて来るくらいの違いを 受け入れたほうが自分が楽だよね。 バラ、食べられないけど イモ、食べられるしさ。

うーさんのパンツ

うさとの服の、 さとううさぶろうさん。 数年前のこと。 ロサンゼルスでうさと服の展示会があり、 デザイナーのうさぶろうさんが来られた。 その時にご縁あって、タイのうさぶろうさんのところをからめて 5リズムのワークショップをさせていただいた。 うさぶろうさん宅へも行かせていただいた。 うさぶろうさん(通称うーさん)が履いていらしたパンツがいたく気に入ったので、 いいなあ、いいなあ、と連発していたら これ、今、これしかないからねえ、、、 ちょっと待ってて、これでよかったらあげる! と、脱いでそのまま下さった。 その事実もセンセーショナルだったんだけど、 帰ってきてから数年経った今も、 そのパンツを履くたびに うーさんの優しさを思い出し、 うーさんがしあわせでありますように、と思う。 うーさんは、そういうことをよくやられるらしい。 「そう?じゃああげるよ!」 と、本当に気持ちよく、人に様々なモノを下さる方らしい。 ってことは、 世の中に私みたいに、うーさんパンツを履くたびに 「うーさんが幸せでありますように」 と思う人がいっぱいいるような気がする。 私が人に何かを差し上げる時は、 大概、労力提供。もしくは物品だとしても消え物が多い。 チョコレート、キャンドル、塩、エッセンシャルオイル。。。 どこかで、消え物のほうが相手に負担にならないという刷り込みがあった。 でも、ものをあげる、っていいな、と うーさんのパンツを履くたびに思う。 その時、うーさんとつながるのだ。 私も労力じゃなく、消え物じゃなく、 何か、ものを差し上げたら それを使う人が使うときに 私のことを思い出してくれたら すご

直そうとしたがる

人は、 直そうとしたがる。 「人は直そうとしたがる生き物だ」 ー ガブリエル・ロス 私もそうだ。 本当は直す必要なんてないのにね。 よくなろうとするんだ。 さらに 第二ステップとして 直す時、 よくなろうとするとき、 ちゃんと「自分は」直せているか? ちゃんと「自分は」いい仕事できてるか? そこにフォーカスが行く。 すると、 そもそも必要のない 「直そうとしていること」から さらに必要のない 「ちゃんとできてるか」へと、 もともとの目的がズレる。 チャゲアスの飛鳥涼さんの歌 「はじまりはいつも雨」で 「ぼくはちゃんと君を愛してるかい?愛せてるかい?」 ってあるけど、 その時点ですでに 彼女のことを愛するより 自分への評価が一番に来るてコト、 これ、けっこう自己中。 自己中だけど他人軸。 誰もいままで飛鳥涼さんに指摘して来なかったのが不思議だ。 今的に言うと そう言う承認欲求はおいといて、 ただ愛せばいいのにね。 「ちゃんと愛してるボク」 に焦点があたるからヤヤこしい。 直す、も そう。 もともとの目的から ちゃんと自分はできているか、 に、行きがち。 おもしろい心理の二重構造だね。 あ、でも私、この曲は好き 笑 ====== オンラインで5リズムのクラスあります。 どこからでも、お家から、お庭から、公園から、 ネットさえつながれば参加できます。 ドネーション制です。 詳細は ww.masayodance.com

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