Masayoのブログ: アメブロ と NOTE で更新して行きます。 

きっかけ、決意、継続

Very Merry Christmas from LA! 先週、大阪スカイプが終わり、今年一年の私の5リズムが終了しました。 その大阪スカイプでは、最後にみなさんでハッピーバースデーを歌っていただきました。本当に私は幸せモノ。 みんな、ありがとう〜〜!だ〜〜〜いすき! 今年あらゆる場所で参加してくださったみなさま、本当にありがとうございました。 来年は、1月6日の名古屋スカイプから始まります! みなさまに、たくさんの幸せが降り注ぎますように。 こちらは今日はイブ。日本の大晦日のように慌ただしいです。鬼のように掃除して、鬼のように買い物をした(明日のパーティーの準備です) 明日の25日が、元旦みたいに、少し厳かたり、ファミリーや友達と集まったり。 思えば、3年前、神戸のイベントの後に 「5リズム、スカイプでクラスやってくださいよ!毎週参加しますから!」と言った男の子は 一度もスカイプクラスに顔を見せないけれども(笑)きっかけをつくってくれた大事な人。 最初は、そりゃスカイプクラスできたらいいけどもさ〜、現場に誰かがいてくれないとできないし、本当にできるかどうかもわからない。どうしよう、、、と。 そしたら真帆ちゃんが「まさよさん、やりましょう!」と言ってくれた、その言葉と背中押しがなければできませんでした。 最初の日は、 「えーーー!マジで?できるの?」とドキドキしながらも、なんとかするしかナイ!と。 皆、最初はそうなのよね。最初はソレが必要。 その一歩を踏み出すのに、勇気がいる。 決意すること、覚悟をくれたのが真帆ちゃんです。 そして、そのあと、うめちゃん、みとちゃん、さえちゃ

さわる タッチする

そろそろ年の瀬も押し迫り、あわただしくなっているころですね。 だからこそ、スローダウン。 クリスマスパーティーなど、人にあう機会も多いと思います。 このチャンスに、ほんの少し「直に触れ合う」のは いかがでしょうか? とはいっても、銀座のバーでキレイなおねえちゃんがしてくれるみたいに、隣の人の膝に手を置く、と言うことではありません(でも、コレ効く! 笑) たとえば、別れ際に 「じゃね、バイバイ!」じゃなく、 たとえば、ありがとう、って言いながら手を取る。 たとえば、気をつけてね、っていいながら肩に手をのせる。 たとえば、ハグする人も多いと思いますが、そこにちゃんとココロをのっける。 ほんの1秒未満かもしれないけれど、そのぬくもりは異様に大きな記憶となって残るかもしれません。 アメリカはよくも悪くもスキンシップ社会。 私はアメリカに来てから「アメリカ式〜〜!」といって両親にハグをはじめました。 最初は大きな勇気が必要だったし、照れ臭かったですが、 それ以来、特に父の嬉しそうな顔ったら。 まだ若い男性のように、88才にもかかわらず、いまだに力強く私をハグしてくれます。 ハグの安売りを推奨しているわけではありませんが、 直にさわる、タッチするという行為は大切です。 個人的なことですが、最初の夫(日本人です)との出会いは あたまの上に手をポンと優しく触られ、慣れてないワタシはそれで一発で恋に落ちてしまいました。スキンシップってそれくらいパワフル。そういうミスリードを防ぐためにも(爆!)日頃から、「肌という自分と相手をわけるもの」を超えて、「相手を感じる」練習にもなるかもしれません。 ま、

22日、大阪スカイプ

今年最後の5リズム、スカイプクラスです。 今年もたくさんの方に参加いただいてありがとうございました。 2014〜5年、 神戸でやったミニワークショップで 「スカイプででもやってくださいよ!俺、毎回参加しますから!」 と言ってくれた男の子がいました。 彼はそれ以来、見かけていないけれど、 彼のその言葉がきっかけとなり、どうやったらできるかな?と 模索すること1年ちょっと。 2016年の6月に、真帆ちゃんと、 どうやってできるかわからないけども、とにかくやってみよう! と、ドキドキしながら大阪スカイプがはじまりました。 それが始まりとなり、少しづつではありますが広がっていくようになりました。 スカイプクラスは、ロサンゼルスから中継することが一番多いのですが、 こちらのモニター越しで、まるで催眠術にかかるかのようにみなさんを見ています。 すごく不思議な気分なのですが、2時間があっという間なのです。 昨日、シャンティ(1月に関西でワークショップをする)と スカイプでしばらく話しました。 彼女にも韓国向けにスカイプをやればいいじゃない?と話して、 彼女はこの秋からはじめたのですが、 「スカイプクラス、どう?」って聞いたら 「すごい感覚よ、まるで一緒に催眠術してるみたい!」と言っていました。 本当にそう。 そこに一緒にいてドップリ漬かっている感覚なのです。 時空を超える、っていうのかな。 大阪&関西地方のみなさん、スカイプでお会いできるのを楽しみにしています! 5リズム: 今年最後のスカイプクラスは、とくに「呼吸」にフォーカスしたいと思います。 ===== 今月はいつもと同じ第4週・時間帯

恐怖について2 ケイト・シエラ

5リズムのシニア・ティーチャー、ケイトのインタビュー記事、後半です。 1から続くので、まずはそちらからお読みください。 ========= 恐怖というこのおっかない生き物は、ワクワクの3センチ隣に住むものから身の毛のよだつものや、おいしいものまであるけど、その端っこは健康的な範囲の振り幅の中に入っている。恐怖って、新しい見解へジャンプするためのチャンス。自分たちをアップデートしなくちゃ! 適切なサポートの中では恐怖はサスティナブル(継続可能)に新しく変わっていくためのきっかけであり、誘発剤。自己内対話のほとんどがネガティブで恐怖に根付いている。けど、恐怖を所有しているという事は、物事を変容させることができるということ。 私は自分自身を、まるで親友に接するように扱うようにしています。そして私は親友が大好きでとても愛おしく思う。これは大変な事で、習得するのに時間がかかりました。他人の愛し方とは、全く自分の愛し方であり、それは大いなる気づきになりました。このコンセプトは別な言い方にすれば、もし自分を愛せなかったら人を愛せないという、深く横たわる、自己愛に関すること。 その日によって恐怖が隠れたり物事を動かすモチベーションになったりする。私は恐ろしいスペースの中で、時には犠牲者、かわいそうな私に敬意を払い贅沢な時間を過ごすこともあるけれども、上向きへスイングもする。恐怖は単なる私の一面にすぎず、私という物語のオーケストラの全部ではないことも知っています。 私が最も恐れるのは、一長一短の自分自身(骨についた肉が多すぎる)。私はあまりにも明るすぎる、その明るさが大きすぎるという恐れがありま

恐怖について 1. ケイト・シエラ

前回のブログにも登場しましたが、5リズムのシニアティーチャーで私のメンター、愛するケイトが掲載された「人が変わるためのマガジン「Human Shift Magazine」の恐怖について」の記事です。 日本語に訳してみました。ちょっと長いですが、どうぞ。 私はこういうことを学ぶために5リズムをやっている。 この考え方、この生き方、これを実践するために、5リズムをやっている。 ============== 私はケイトシエラ、ロサンゼルスに住むロンドンっ子です。私は東ヨーロッパ移民の労働者階級の、ヒップで超愉快な生存者の血を引いています。私はムーブメントを教え、シャーマニックな施術もします。自分が学んできたものを使ったワークショップで人々をガイドし、より楽に生きられるような手助けをしています。 そんな私ですがクラスで教える時は期待に答えられるかという恐怖をいつも抱きます。20年以上も続くこのクソはいまだ同じまま。この恐怖は雷のようなもの、抱えて振り回さずただ受け取るもの。恐ろしがれば恐ろしがるほど、その稲妻は力強く私を打つのです。 クラスで最初の曲が始まり最初のダンスに足を踏み出せば、その恐怖は消えてなくなります。私は今に生きる存在そのものになり、私の注意は踊る人々、私の情熱、私の目的へと移っていきます。もう恐怖の入る余地はない。 恐怖は私の道しるべ。信号。深い場所へ向かっている。 恐怖は偉大なる目覚めを促進してくれます。恐怖は仲間。恐怖とはたえず私たちのドアをノックして教えてくれ、足元をしっかりさせるよう促す。ちゃんと注意を払えるように、行動できるように、呼吸を深くするように、うん

ペアが苦手な人は?

昨日の、「ダンスフロアは比喩である」からの続きです。 ロサンゼルスでのこと。 ケイトのクラスへ私と一緒に行ったH子ちゃんの話。 英語があまり聞き取れず、ケイトがしつこく「ペアを組んで!」と言っているのに 「ペア組めって言われてるけど、好きじゃないから、ま、いいや、無視しちゃえ!」 と思ってH子ちゃんは踊っていました。 踊りなれてくるとティーチャーのガイドが邪魔になる人も多く(爆)自分の体の赴くままに踊る人もいるのですが、ケイトはこれを許さない。 「これはプラクティス。勝手に踊りたいだけならエクスタティックダンスへ行きなさい。このフロアでロータス組んでるヤツ、ここで払ったお金を返すからそれを握ってヨガクラスへ行きなさい」と言う。 帰りに「マサヨさん、ケイトけっこうしつこくなんか言ってましたね。私のほう向いて言ってたみたいな気もするんですけど、なんて言ってたんすか?」 「ペアを組みなさい。それを無視したり、聞き入れなかったり、いやだと言って逃げてる人。あなたは日常でも人が嫌いなはず。そんな人は、なおさらココでなおさなくてどうする!トライしなさい」って言ってたよ。 といったら がーーーーん!! の顔のH子ちゃん。 しばらく開いた口がふさがらず その後、 「やばいっすよ、やばいっす、マサヨさん、マジで」 それ以来、彼女は 「決めました。ペアになるの、練習するっす」 必死でペア組んで、 今や 「案外、人、平気っすよー。別に好きじゃないっすけどねー、前ほどキライじゃナイ」 だそうです。 全ては鋳型。 最近ではフラクタルなんて言葉も使われますけどね。 そう、全ては鋳型で、全ては比喩です。 外

ダンスフロアは比喩である

なぜ踊るか?という理由の一つに、「ダンスフロアを比喩として、日常の問題をダンスフロアの上で向き合う」があります。 私にはこれが大きいな。 ガブリエルロスも言いました。 「問題がある?それはラッキーよ!それをダンスにしなさい!」 この理由で「問題がある時しか来ない人」も、もちろんいらっしゃるんですが(笑) もったいない。 何もないと思ってる時にこそ自分の「真の」「芯の」パターンが出てくるので、ね。 さて、問題があろうとなかろうと、 「フローイングはいいけど、スタッカートが苦手」 「リリカル嫌い」 「カオスなんてなければいいのに」 という、好みの問題があります。 好きも嫌いも、本来全部世の中にあるもの。 苦手っていうのは、見たくないもの、もっていたくないものが自分の中にあるから。 それを外は投影して見せているだけ。 ということは、そのエネルギーにうまく折り合えるようになったら きっと見る世界(世の中、外の世界)も変わりますよね。 ではまず、その苦手なところを見る。 なぜ?どんなところが苦手? そこをダンスで修正、または慣れる。 またはうまく立ち回る方法を探す。 体感型。 体と脳とハートは繋がってる。 明日は、ダンスフロアーは比喩である、の 実際の例をご紹介します。 ではまた。

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