恐怖について 1. ケイト・シエラ

前回のブログにも登場しましたが、5リズムのシニアティーチャーで私のメンター、愛するケイトが掲載された「人が変わるためのマガジン「Human Shift Magazine」の恐怖について」の記事です。

日本語に訳してみました。ちょっと長いですが、どうぞ。

私はこういうことを学ぶために5リズムをやっている。

この考え方、この生き方、これを実践するために、5リズムをやっている。

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私はケイトシエラ、ロサンゼルスに住むロンドンっ子です。私は東ヨーロッパ移民の労働者階級の、ヒップで超愉快な生存者の血を引いています。私はムーブメントを教え、シャーマニックな施術もします。自分が学んできたものを使ったワークショップで人々をガイドし、より楽に生きられるような手助けをしています。

そんな私ですがクラスで教える時は期待に答えられるかという恐怖をいつも抱きます。20年以上も続くこのクソはいまだ同じまま。この恐怖は雷のようなもの、抱えて振り回さずただ受け取るもの。恐ろしがれば恐ろしがるほど、その稲妻は力強く私を打つのです。

クラスで最初の曲が始まり最初のダンスに足を踏み出せば、その恐怖は消えてなくなります。私は今に生きる存在そのものになり、私の注意は踊る人々、私の情熱、私の目的へと移っていきます。もう恐怖の入る余地はない。

恐怖は私の道しるべ。信号。深い場所へ向かっている。

恐怖は偉大なる目覚めを促進してくれます。恐怖は仲間。恐怖とはたえず私たちのドアをノックして教えてくれ、足元をしっかりさせるよう促す。ちゃんと注意を払えるように、行動できるように、呼吸を深くするように、うんざりする状況から脱出させるように、何が必要かの匂いを嗅ぎわけられるように。

私は自分の人生においてあまり恐怖に注意を払ってきませんでした。恐怖を批判し、呼吸を止め失神するのを待つまで無視し、排除することを選んでいました。なぜなら恐怖は私の生まれつきのテリトリーのような気がしたし、直視するには近すぎて、自分を恐怖に対して痺れさせていました。しかし恐怖を自分のアイデンティティの一部とも感じていたので、恐怖が自分と離れ離れになっている状態のときには逆に自分でないようにも感じた。なので結局は恐怖をしっかりと感じ、そこを通過するしかありませんでした。

そして私が最も批判している恐怖に怯える人物とは、他でもない私自身だったのです。

でも今はそれが自分の味方になってる。

今は恐怖とは、自己否定をした自分の一部だと認識し、ここにあるよ、と大きく旗をかかげている状態です。もし私がそれらと統合すれば不必要な目隠しは外される。そう、恐怖は私の一部。ただどれくらい大きな部分を閉めるかは私が選ぶのだけどね。

(長いので次に続きます)

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