人種、ルーツ、祖先、カルチャー
5リズムのワークショップへ行くと、「ここが自分の居場所だ!」とばかりに
ホームへ帰って来た感覚と同時に、
それでも少しだけ人種について考える。
私はちなみにワークショップへ出ると、爆弾を落とすような、オブラートにつつまないド正直さを出して発言する事があるので、ビビられることも時にある。他の日本人にもコレ多い。
これは西洋人にはメディスンになるのだそうだ。確かにこのストレートさは西洋人にはないように思う。
こちらでのワークショップはほとんどが西洋人で、
東洋人はマイノリティ。
私は西洋人に「敵じゃないですよ」「仲間に入りたいです」的に
ヒエラルキー的にイヌ化する自分を発見することもある。
だって、西洋人ったらマンガに出てくるほど足長いし、
クルクルした毛だし、英語上手だし(アタリマエ)
そう思うと、「英語ヘタなんですぅ〜」的に
ハラを見せちゃう時が多いし、表面上楽だ。
日本人及びアジア人の論理脳と脳内を整理する力はすばらしいと心底思う。
一般的に西洋人の思考回路は、人にもよるが、おおむねまとまりが弱い。
家庭の事情から始まって、すべてまとめず話して、聞いてる人に理解してね的なところがあるからね。すっごい時間がかかる。それを聞くのに苦労することもある。
でも、私は西洋人にハラを見せてるので、
そう思ってるとは思われない。(←とてもズルい)
最近ではそれすらバラしている。(←もうズルくない)
あと、先生との関係も。
先生が前にくると、必ずいいところを見せようとし、
100%自分自身でいられなくなることも多かった。
こういう日本文化が私の体の中に根強く残っている。
また、西洋人と比べて自分を卑下する自分もいるくせに、
日本人の中では出し切れない自分を出す事もできる。
(これ、特に日本人男性には如実な気がする。日本ではあんまり泣けないからね)
だけど。。。
これ、西洋人も、もしかしたら同じように感じているんだと思う。
たとえば私が英語で話している時は完璧にスルーするけど、
私が日本語で話す機会を持ち、日本語でしっかり話すと
自分たちの胸に手を当てて、涙すら浮かべて感動したりする。
ようは、異なるものに畏敬の念を抱くんじゃないかと思う。
自分のコンフォートゾーン(安全な場所)の外へ行くと
人は判断基準を失う。
未知なるものとは、偉大なのだ。
だから、まず、自分を知る事。
カルチャーとして、人種として、
そんなことに向かいあうワークショップ「サイクルズ」が
来年4月、サンフランシスコで開催される。
先生はタミー。私は行く。
ハートビートまで受けていることが必須。
4月に来たい人は、
12月、今週末の神戸でのシャンティのハートビートをぜひ!
4月のタミーのサイクルズ、
たくさん集まれば通訳もする。
泊まる場所は?という方は、
出たいけど、どうしたらいい?というかたは私に連絡を。
お手伝いします。